第七話 黄金の雷(5)【 第七話 黄金の雷(5) 】 さて、ここで再び、トゥパク・アマル率いるインカ軍本隊の状況に話を戻そう。 かの湿地帯でのバリェ将軍との山岳戦を終え、トゥパク・アマルがトゥンガスカの集落にある本陣へ戻ってほどなく、スペイン軍の主力部隊はついにトゥンガスカ周辺に結集するに至った。 トゥパク・アマルの本陣を壊滅させることで、完全にインカ側の息の根を止めようとの算段である。 双方の命運を賭けた、トゥパク・アマル率いるインカ軍本隊とスペイン軍本隊とのトゥンガスカでの決戦が、いよいよ火蓋を切ろうとしていたのだ。 時に、1781年4月上旬のことである。 その頃には、トゥパク・アマルの計略による時間稼ぎが効を奏し、インカ側の臨戦態勢も整いつつあった。 インカ軍の主力は、剣や鈍器で武装した軽騎兵だが、銃器や砲弾を携えた重騎兵も少なからず配備されている。 本陣を固く守るように、その広大な敷地の前面に凹形の塹壕線を造り、その塹壕の形状に沿って、中央の歩兵はオンダ(投石器)を携え、両翼に軽騎兵、後方に重騎兵を配備した。 また、左翼の丘の上には、ディエゴ率いる精鋭の重騎兵の軍団を伏兵として潜ませた。 対するスペイン軍の主力は重騎兵で、中央に銃器や大砲を携えた歩兵隊、両翼に騎兵隊を配備していた。 しかも、スペイン軍の最前線には、あのスペイン軍総指揮官アレッチェの策謀により、いつものごとくに同族同士で戦わせることを狙った、インカ族の傭兵たちから成る数万規模の「リマの褐色兵」が配備されている。 重厚な皮の甲冑に黒マントを翻す騎馬のトゥパク・アマルは、インカ軍の陣頭に立ち、炎を燃え立たせた険しい目で、眼前に巨大なスケールで展開するスペイン軍をはるばると見渡した。 小鷹砲、長距離砲、臼砲、龍砲、擲弾砲、投石砲、45ポンド砲など、この新大陸でよくぞここまで取り揃えたものだと驚き呆れるほどに、敵は無数の種類の大砲や銃器を携えている。 トゥパク・アマルが放った斥候によって、この数日かけて敵情を視察させた結果、当地のスペイン軍の規模は、ざっと5~6万の軍勢を擁すると見積られた。 自軍のインカ側と、その規模はほぼ互角、あるいは、数的には、やや自軍が優勢と見て取れる。 しかし、敵方には、インカ族である褐色兵が控え、トゥパク・アマルが決して同族を討たぬことを熟知しきっているが故に、スペイン側の総指揮官アレッチェは、この決戦においても、それら褐色兵を前面に出させてインカ側の動きを封じようとしているのだ。 褐色兵の規模は、少なくとも二万人程度は占めている。 トゥパク・アマルは、険しくも真摯な眼差しで、それら褐色兵の一団を見渡した。 そして、その中央にいる男、褐色の敵将フィゲロアを…――!! かくして、フィゲロアも、汚れなき透明な視線で、トゥパク・アマルの方向を見据えている。 それは、まだ遥かに距離を隔てた位置ではあったが、互いの目は、まるで見えない光の糸で繋がれているかのように、真っ直ぐに貫き、そして、響き合う。 トゥパク・アマルは白馬の手綱を引き絞りながら、すっとその目を細めた。 さらに、トゥパク・アマルは非常に鋭い、怒りに燃える眼を、褐色兵のさらに後方の空間へと向ける。 その場所では、スペイン軍の歩兵たちの前に繋がれた、悪魔の仕業としか思えぬ人柱――インカ族の捕虜たちを柱につなぎ、生ける盾としたもの――が、無数に林立している。 もはや、インカ軍を倒し、己を捕えるためであれば、いかなる手段をも選ばぬという、そのスペイン側の悪魔ような仕儀――正確には、あの総指揮官アレッチェの仕儀と言うべきか――を、今はもう驚くにも当たらぬほどに、あまりの憤怒を突き抜けて、むしろ静まり返る空洞のような心境でトゥパク・アマルは、その呪わしき光景を、ただ無言で、睨み、見据えた。 (愚かな…――!) ついにはこのような仕儀に及んだ、スペイン軍、否、敵将アレッチェ…――そなたは、人としての心をどこかに置き忘れ、その心を完全に闇に売り渡したのだ。 そなたは、人としての誇りを、己の手で打ち捨てた。 それは、自身の祖国、スペインの尊厳さえをも、己の手で貶める行為でさえあるのだ。 今、トゥパク・アマルのその目は、哀れみの色さえ湛えている。 間もなく、スペイン軍総指揮官アレッチェは、鋭い号令を発し、褐色兵の大軍団をインカ軍へと突撃させる。 アレッチェは、堅固に掘られたインカ軍の塹壕に仕掛けられているに相違ない罠を警戒し、決して中央のスペイン歩兵隊は動かさず、インカ軍の両翼へ褐色兵のみを突撃させ、左右の両翼から突き崩す作戦に出た。 一方、褐色兵の襲撃を受け留めながら、トゥパク・アマルは全軍に指示を送る。 決して、褐色兵に致命傷を与えてはならぬ!! 且つ、決して、人柱を傷つけてはならぬ…――!! かくして、相変わらず、インカ軍が手出しできぬ中、褐色兵はそのままインカ軍の両翼を圧倒してくる。 だが、トゥパク・アマルにとって、それら全ては、予測のうちだった。 今、トゥパク・アマルの鋭い合図によって、事前の打ち合わせ通り、左翼の丘上に潜んでいたディエゴ率いる豪腕の重騎兵の軍団が、スペイン軍中央の歩兵たちに、人柱よりも背後から、まるでインカ軍と褐色兵の間に切り込むがごとくに激しく襲い掛かった。 しかしながら、褐色兵の猛攻は、やはりインカ軍には非常に痛手に相違なく、敵陣の中央で、ディエゴの精鋭部隊がスペイン兵を圧倒していくかたわら、トゥパク・アマルらのいる前線では、褐色兵の猛攻によって次第にインカ軍が押されていく。 これまで、常に、インカ軍の先陣を切って光のように戦場を馳せ、味方の士気を鼓舞していたアンドレスの存在が無いことも、少なからず、手痛くはあった。 だが、それを凌駕する気迫で、今はトゥパク・アマル自身が、その剣を猛々しく翳し、最前線に立っている。 そんな彼を援護するように、自軍の兵により奏でられる、あの天に捧げるがごとくの角笛と、大地に貢ぐがごとくの太鼓の音が、神々しく鳴り響き、渦巻くように戦場を包み込んでいく。 トゥパク・アマルは、剣を振るいながらも、褐色兵の敵将フィゲロアを探し、愛馬を疾走させた。 その時、銃弾と砲弾の飛び交う戦場を駆け抜けるトゥパク・アマルの視界に、戦場の一隅で、騎馬のまま剣を振るう幼き息子たちの姿が飛び込んだ。 敏腕オルティゴーサに守られるようにしながら、剣をとる三人の息子たちの表情には、明らかに決死の覚悟が見て取れた。 トゥパク・アマルは目を細めて頷き、それから、素早く、オルティゴーサに身振りで合図を送る。 もう十分、彼らを引かせよ…――!! オルティゴーサも目の端で僅かに微笑み、鋭く頷き返すと、彼の傍に控えていた部下たちに、トゥパク・アマルの息子たちを援護させ、引かせていく。 トゥパク・アマルは再び、前方に、そして周囲に、意識を戻し、心を切り替え、フィゲロアを探す。 間もなく、褐色の敵将が、砂塵に霞むその視界に現われる。 見るとフィゲロアも、また、トゥパク・アマルを探していたのであろうか、その姿を見るなり、一直線に彼の方に馬を駆ってきた。 トゥパク・アマルとフィゲロア…――二人は、その距離10メートルほどの直近まで迫り来る。 二人は、その距離で俊敏に馬を止めると、決然とした眼差しで真正面から互いを見据えた。 「フィゲロア殿!!」 精悍なトゥパク・アマルの声が、砲弾の轟く戦場にこだまする。 その時であった。 フィゲロアは深く頷くと、「トゥパク・アマル様!!」と、雄々しく、清く、響く声で、その名を呼んだ。 トゥパク・アマルを護衛しながら疾走してきたビルカパサが、耳を疑う。 トゥパク・アマル「様」…――?! 今、晩秋の蒼穹の空に、午前の陽(ひ)が高く昇りゆく。 天空に輝く太陽が、トゥパク・アマルに、フィゲロアに、そして、インカの地に、黄金色の光を降り注ぐ。 白馬の手綱を手に、戦場の砂塵の中に長髪をなびかせ、既に、その褐色の肌の随所に血を滲ませながら、しかし、トゥパク・アマルは輝くような漆黒の瞳で、真っ直ぐに眼前のフィゲロアを見つめた。 全てを、察した!!…――その深い感慨を込めた眼差しで。 フィゲロアは深く、俊敏に、トゥパク・アマルの方向に頭を下げると、すぐに凛々しくその顔を上げ、曇りの欠片も無い澄み渡った目でこちらを見、そして、はっきりと言った。 「トゥパク・アマル様!! この後、我らが軍勢は、あなた様のお味方をいたします!!」 既に、フィゲロアの心をしかと受け留めていたトゥパク・アマルは、その目を細め、深く、力強く、頷き返す。 「フィゲロア殿!! 共に、インカのために…――!!」 トゥパク・アマルの言葉に、今、真に誠意溢れるあの面差しで、フィゲロアは逞しい笑顔を返すと、すぐさま踵を返し、自軍の方に、激しく砂塵を巻き上げながら馬を駆っていく。 そして、猛々しく叫ぶ。 「これより、我が軍団は、インカ軍として、戦う!! 味方を討つのをやめよ!!」 雄々しく声を張り上げながら、フィゲロアは褐色の傭兵たちの渦の中を、風神のごとくに駆け抜けていく。 「人柱をほどけ!! 縛られている人々を、解放するのだ!!」 フィゲロアは、自ら先陣切って、あの鋭利な半月刀を振り翳(かざ)しながら、スペイン軍の中央渦中へと切り込んでいく。 彼は、そのまま、インカの人々が繋がれている人柱の方向へと、まっしぐらに、何の迷いも見せず突き進む。 そんなフィゲロアの姿に、これまで無理矢理、同族のインカ兵に刃を向けさせられていた褐色兵たちは、驚きと、恍惚の表情で、瞬間、動きが止まる。 が、すぐに、まるで激しく光を与えられたがごとくに、俊敏に、その刃を切り返し、今までと全く反対の方向に身を翻すと、息を吹き返したようにスペイン軍目指して、雄叫(おたけ)びと共に疾走しはじめた。 ついに、褐色兵が、インカ軍に寝返った、否、真のありかに戻った瞬間である。 その間も、かのフィゲロアは、そのまま閃光のごとく、インカ族の人々が盾としてつながれている人柱めがけて走り込み、繋がれている縄を片っ端から切り裂き、人々を解放していく。 一方、トゥパク・アマルは、ことの展開を予測していたかのように冷静ではあったが、しかし、フィゲロアの動きの速さと勢いに、不意に不吉な予感に憑かれた。 (まさか、フィゲロア殿…――!!) 次の瞬間には、彼も、また、人柱の方へ馬を駆り出していた。 今、トゥパク・アマルのその表情は、恍惚としつつも、硬い。 (フィゲロア殿、そなたはこれから…――なのに、命を投げ打つおつもりか!!) トゥパク・アマルの中で不吉な焦燥感が激しく蠢(うごめ)き、手綱を握る手に力がこもる。 その時だった。 無数の銃声の中から、だが、明らかに、群を抜いて不気味に際立つ一発の銃声が、宙空に鋭く響き渡った。 (…――!!!) トゥパク・アマルが見据えた瞬間には、既に、フィゲロアが、半月刀を手に囚われの人々を解放するその姿のまま、頭を銃弾で打ち抜かれていた。 フィゲロアの頭から、血飛沫が噴(ふ)き出す。 愕然とするトゥパク・アマルの数十メートル先で、騎馬のアレッチェが、煙の立ち上る拳銃を手に、悪魔のごとくに歪みきった形相で、地に崩れゆくフィゲロアを呪い狂う眼で見下ろしている。 「裏切り者…――」 その引きつった口元が、崩れるように、さらに歪む。 戦場の時が、一瞬、止まった。 手綱を握り締めるトゥパク・アマルの指が、憤怒に震えた。 その眼の中に、激しく、冷徹な炎が燃え上がる。 「ひるむな!! フィゲロア殿の死を無駄にしてはならぬ…――!!」 彼は、手綱をしかと握り直すと、アレッチェめがけて、まるで狂ったような雄叫びと共に、己自身が突撃を開始した。 影のごとく、ビルカパサが、全く間断なく、そのトゥパク・アマルを守って走る。 傍目からは、まるで箍(たが)がはずれたように突撃してくる敵将トゥパク・アマルの姿に、アレッチェが瞬間、気圧され、思わず身を退(ひ)く。 彼は、フィゲロアの「裏切り行為」に意識を奪われていた僅かの間に、トゥパク・アマルが、予想以上に己の近くまで距離を詰めていたことに気付き、反射的に唇の端を歪めた。 一方、敬愛していた自軍の将フィゲロアを撃たれた「リマの褐色兵」の軍勢はもとより、トゥパク・アマル指揮下のインカ軍本隊の兵たちも、共に、猛り狂ったように、殆ど暴徒のごとくスペイン兵に襲い掛かった。 他方、その行動の激しさにも関らず、トゥパク・アマルの心は――フィゲロアの死を深く悼んではいたが――全く乱れず、理性を失ってはいなかった。 彼は正確に狙い定めると、アレッチェが目を見張るその間に、たちまち至近距離に詰め、目にも留まらぬ速さで剣を抜き、そのまま相手に切りつけた。 アレッチェは、すぐに意識を己の中心に引き戻し、トゥパク・アマルの襲撃に騎馬のまま反撃の態勢を整える。 しかしながら、それまでの一瞬の隙に、トゥパク・アマルの剣を強引によけたその体は、僅かにバランスを崩した。 その瞬間、トゥパク・アマルの剣は、アレッチェの手にある銃を弾き飛ばした。 引きつった目元をわななかせる馬上のアレッチェを見下ろすようにして、トゥパク・アマルは、その目を冷ややかに細め、そのまま間髪入れず己の剣を勢いつけて天高く振り上げた…――!! 天頂から差し込む陽光を反射し、決然と振り翳されたトゥパク・アマルの剣が、黄金色の眩い閃光を放つ。 しかし、その瞬間、周囲のインカ兵の間から、鋭い警告の「気」が漲り、激しく湧き立った。 全く同じ瞬間、ビルカパサがトゥパク・アマルの馬のわき腹を蹴り上げた。 「トゥパク様!!」 トゥパク・アマルの白馬が狂ったように身を翻し、その場を跳び退(すさ)った瞬間、まさしく、今、彼が居たその場所に、砲弾が落ち、耳を劈(つんざ)く爆音と共に炸裂した。 砲弾の打ち込まれた先では、ひときわ巨体な大砲のすぐ脇で、あのスペイン軍総司令官バリェ将軍が、獅子のごとくの厳しい形相でこちらを鋭く睨みつけている。 トゥパク・アマルの刃から逃れ、辛(かろ)うじて一命を取り留めたアレッチェは、素早く、爆風の巻き起こす砂塵の中に身を隠した。 しかも、その砲撃に触発されたがごとくに、今度は、スペイン兵が、銃弾を、そして、砲弾を、撃ちまくりはじめた。 にもかかわらず、火砲の飛び交う中、インカ兵は怯まず進み、あるいは、撃たれながらも、全ての人柱を解き放っていく。 そしてまた、インカ兵も、スペイン軍に負けじとばかりに、大砲を放ち、銃を撃ちまくった。 今や、戦闘は、狂気を孕む血で血を洗う地獄絵へと化していった。 ◆◇◆ここまでお読みくださり、誠にありがとうございました。続きは、フリーページ第七話 黄金の雷(6)をご覧ください。◆◇◆ |